2018年9月22日土曜日

帝国陸軍は愚かで非合理だからアメリカと戦争したのか?

帝国陸軍は愚かで非合理だからアメリカと戦争したのか?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180816-00010002-wedge-soci


8月や、6日、9日、15日」という詠み人知らずの歌がある。広島に原爆が落とされた86日、続いて9日に長崎、そして15日無条件降伏(ポツダム宣言の受諾)である。
帝国陸軍は愚かで非合理だからアメリカと戦争したのか?

『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』(新潮選書)。牧野邦昭。1977年生まれ。東京大学経済学部卒業。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。現在、摂南大学経済学部准教授。専攻は近代日本経済思想史。

 815日には、陸海軍を中心に戦争時の資料が大量に焼かれた。今でも「大本営発表」というと悪い意味で使われるように、戦時中は負けているにもかかわらず、勝っているような発表がされ、負けてしまえば、責任逃れのために資料を焼いた(公文書を粗末に扱うという官僚の悪弊は今にも引き継がれているということだろうか……)。

 このように昭和の軍部、特に帝国陸軍は、非合理主義で、極端な精神主義に走った組織という認識が一般的だ。

 ところがそんな陸軍が、開戦前に日本を含め、アメリカ、イギリス、ドイツなどの主要国の「経済抗戦力」について調査を行っていたという。陸軍主計中佐・秋丸次朗をリーダーとして調査組織を設置した(通称「秋丸機関」)。

 秋丸機関の調査によって、日米の経済力の差は「201」にもおよぶことが判明した。そして、この報告書は陸軍にとって都合の悪いものであるために「焼却処分」された――。

 非合理な陸軍だから、さもありなんということで、戦後長らくこの通説が信じられてきた。

 しかし、これについて「本当だろうか?」と、問題提起をしたのが『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』(新潮選書)を上梓した、牧野邦昭摂南大学経済学部准教授だ。

「通説」打破への突破口となったのは、牧野氏がネット上のデータベースに、焼却処分されたはずの秋丸機関の報告書がいくつか残っていることを発見したことだ。

2008年、京大の院生のときに、京都府立図書館のデータベース(OPAC)で、秋丸機関の別称である『陸軍省主計課別班』を検索してみました。すると、関連資料が出てきたのです。その後、京大、東大などの図書館のデータベースにも資料があることが確認できました」

 秋丸機関の研究員の一人で、「(秋丸機関の)報告書は陸軍の意向に沿わないので、焼却処分された」と発言していた有沢広巳・東京大学経済学部教授が1989年に亡くなり、その蔵書が遺品として東大経済学部図書館に寄贈された際、その中から報告書の一部である『英米合作経済抗戦力調査』(其一)が見つかったことは既に知られていた。

 しかしそれ以外の資料はほとんど見つかっていなかったが、牧野氏は多くの秋丸機関の資料をネット上のデータベースで発見する。

2013年にはGoogle Booksで秋丸の発言が掲載された報告書を見つけました。そして、(国立情報学研究所が運営し、全国の大学の蔵書などを調べることができる)CiNii(サイニイ)Booksで、『独逸経済抗戦力調査』が静岡大学図書館にあること発見しました」

 さらに牧野氏は、『英米合作経済抗戦力調査』(其二)を、古書データベース「日本の古本屋」で発見し、購入した(その後、東大経済学部資料室に寄贈)。

「こうした発見ができたのは、情報がデータ化されたからです。今後は、AI(人工知能)が、新しい資料を発見するということも起きてくるかもしれません」

 焼却処分されたというものがなぜあるのか? 牧野氏の疑問は深まった。しかし、報告書の内容を読み込んでいくと、英米の経済抗戦力の大きさを示してはいるが、全体としては、当時の論壇や政府機関、シンクタンクで言われていることと変わらない内容だった。そして、当時の雑誌などに、秋丸機関の研究員が報告書と同様の内容を執筆、発言していることが分かった。

 では、秋丸機関の「報告書」の内容とはどのようなものなのか。

勝ち目が少ないことを指摘していた報告書

 マクロ分析された『英米合作経済抗戦力調査』(1)では、

・英米が合作すれば、米国の供給で英国の供給不足を補うことができる。
・英米の合作は、第三国に対して70億ドル余りの軍需資材の供給能力になる。
・ただし、最大の供給能力の発揮には開戦後1年~1年半の時間が必要。
・英国船舶の月平均50万トン以上の撃沈は、米国の対英援助を無効にする。

 ミクロ分析された『英米』(2)では、

・英国の弱点として、島国であるために食料や資源を遠隔地から船舶で輸送しなければならない。

『独逸経済抗戦力調査』では、

・ドイツの経済抗戦力は1941年がピークで、その後低下する。
・英米長期戦に頼るにはソ連の生産能力を利用しなければならない。
・食料不足が表面化しており、ウクライナからの供給が必要。
・石油も不足しており、ルーマニアからの供給だけでは足りず、ソ連のバクー油田からの供給が必要。

 しかし、ドイツがソ連の各種能力を利用するには、ソ連との決戦を短期で終了させる必要があり、長期化した場合は、「対英米長期戦遂行は全く不可能」となると、悲観的に述べられている。

 これに加えて、日本が行動すべき指針も示している。

「東亜」は欧州に不足しているタングステン、錫、ゴムなどを供給することができるため、日本はシンガポールを占領し、インド洋連絡を行う必要がある。
独ソ開戦以降、ソ連と英米の提携が強化されるため、日本は包囲網突破の道を南に求めるべし。
北における消耗戦を避け、南において生産戦争、資源戦争を遂行すべし。

 報告書全体としての結論をまとめると、「長期戦になればアメリカの経済動員力により日本もドイツも勝利の機会はない」、ただし「独ソ戦が短期で終われば、イギリスには勝てるかもしれない」というものだ。そして、日本がなすべきこととしては、「北進(対ソ戦)」ではなく、資源獲得のチャンスがある「南進(対英米)」すべきとされた。

 こうした情報は当時、機密でもなんでもなかったのである。むしろ「常識」とも言えるものだった。それにもかからず「なぜ、開戦を決断したのか?」。そのとき、思い至ったのが行動経済学における「プロスペクト理論」だった。

人間は、損失を被る場合にはリスク愛好的(追及的)な行動をとる

 本書のなかで、牧野氏はこんな事例を示している。

 2つの選択肢のうちどちらが望ましいか。

a 確実に3000円支払わなければならない。

b 8割の確率で4000円支払わなければならないが、2割の確率で1円も支払わなくてよい。

 (b)の損失の期待値はマイナス3200円(=マイナス4000×0.80×0.2円)で、(a)よりも損失が大きくなる。人が合理的に動けば、(a)を選ぶ。しかし、実験では(b)を選ぶ人が多い。つまり、「人間は、損失を被る場合にはリスク愛好的(追及的)な行動をとる」のだ。

 これを証明したのが「プロスペクト理論」で、人は財が増えるのと、減るのとでは、減る場合のほうに価値を置く。そのため、損失が出る場合は、その損失を小さくすることを望む。つまり、確率は低くても、損失が0円になる可能性がある(b)を人は魅力的に感じてしまうということだ。

 この(a)と(b)の状況は、昭和16年(1941年)に、日本が置かれた状況と同じだと、牧野氏は指摘する。

A)昭和168月以降はアメリカの資金凍結・石油禁輸措置により日本の国力は弱っており、開戦しない場合、23年後には、確実に「ジリ貧」になり、戦わずして屈服する。

B)国力の強大なアメリカを敵に回して戦うことは非常に高い確率で日本の致命的な敗北を招く(ドカ貧)。しかし非常に低い確率ではあるが、ドイツがソ連に短期で勝利し、英米間の海上輸送を寸断し、日本が東南アジアを占領して資源を獲得して国力を強化してイギリスが屈服すれば、アメリカの戦争準備は間に合わず、講和に応じるかもしれない。

「プロスペクト理論に基づけば、現状維持よりも開戦した方がまだわずかながら可能性があるということになるのです」

 牧野氏は「『開戦すれば高い確率で日本は敗北する』という指摘自体が、逆に『だからこそ低い確率に賭けてリスクを取っても開戦しなければならない』という意思決定の材料になってしまった」と指摘する。

 これが「なぜ正確な情報があったにもかかわらず、開戦にいたったのか?」という疑問に対する牧野氏の答えだ。

秋丸機関は第3の選択肢を出すことができた

 こうした状況は現代の政治や、ビジネスのなかでも起こりうる。上手に乗り切るために必要なことは何なのか。牧野氏はこう話す。

「視野狭窄に陥らないようにして、選択肢を広めに持つということが大事だと思います」

 そうすると、日米開戦時にこのような大局的な視点に立って物事を判断できる人材がいれば、日米開戦は回避できたのだろうか。牧野氏は、秋丸機関は第3の選択肢を出すことができる存在だったと考えている。

 満州時代に、後に首相となる岸信介、日産の創業者である鮎川義介などと対等に渡り合い、共に仕事をして「関東軍参謀に秋丸参謀あり」と謳われた秋丸主計中佐、そして東大教授の有沢広巳、慶應大教授で陸軍主計少尉でもあった武村忠雄など、優秀な人材が集結していた。

「もし、秋丸機関に『3年後でもアメリカと勝負できる国力と戦力を保持できるプラン』を出すように示唆する人物が陸軍にいれば、秋丸機関はそのプランを出すことができたと思います」

 開戦を回避していたら、その後の日本はどうなり、いま、どうなっていたのだろうか……とも、考えてしまうが、それは本書の主題ではない。

 現在まで、かつての日米(英)戦争は、非合理的な陸軍が無謀な戦争をはじめたという認識が一般化している(もちろん、帝国陸軍は様々な過ちを犯した)。ただ、「ストーリーとして分かりやすいから、戦後こうした考えが浸透したのだと思います」と、牧野氏が指摘するように「陸軍悪玉論」にしてしまうと、思考はそこでストップしてしまう。

 牧野氏は、本書の冒頭で政治学者・丸山眞男の言葉を引用している。

「陸軍や海軍というのは、もともと組織的に頭のいいのがいたというせいもあるけれど、よほど合理的だったのではないか」


 決して狂信的な人たちではなく、むしろ合理的な人たちが「正しい情報があったはずなのに、なぜこのような選択をしたのか?」。この問いは、現代にも通じるのである。

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