2020年9月27日日曜日

「明治天皇替え玉説」と「孝明天皇殺害説」というものが

 歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに

歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

「明治天皇替え玉説」と「孝明天皇殺害説」というものがあります。
それらは、日本の歴史や伝統を理解しない、とんでも説であると断じさせていただきたいと思います。

替え玉論者たちが論拠にしていることは、
「明治天皇は開国に踏み切ったけれど、
 父の孝明天皇は攘夷派だった。
 父が攘夷派なのに
 子の明治天皇が開国したのはおかしい。
 だから明治天皇は替え玉だ」
というものです。

もちろん真実はわかりません。
私はその時代の当事者ではないし、この件の関係者でもないし、その時代に生きていたわけでもありません。
ですから事実はわかりません。

ただし歴史というのは、過去に起きた出来事を、時系列で再現性をもって記述することをいいます。
そして再現性の有無こそが、歴史が論理的整合性を持った科学であるのか、ただの都市伝説であるかの境目です。
事実に基づく再現性を持たないものは、歴史の名に値しません。

その意味で、「孝明天皇は攘夷派だったから開国を目指す薩長によって殺害された」という説は、論理的整合性を持ちません。
なぜなら我が国において、天皇は政治権力者ではないからです。
朝廷の意思は、あくまでそのときの朝廷の高官たちの意思がどちらに傾いていたのか、というものでしかなく、その意思は時によって攘夷に傾いたり、開国に傾いたりしています。
このことは、幕府も同じで、幕府も揺れいましたし、急進派とされる長州藩も、内部では大揺れに揺れていました。
この時代は、それほどまでに意見が分かれて揺れていた時代であったのです。

孝明天皇は、そうした政治判断を行う国政機能よりも上位にある国家最高権威です。
もちろん人ですから、個人の意見というものはあったでしょうけれど、天皇が個人的意見を言いだして政治に口を挟むようになったら、我が国の国体が崩壊します。
従って、開国派が孝明天皇を殺害する理由は、実は、まったくないのです。

つまり孝明天皇殺害説は、我が国の国体の精華をまったく理解せずに、我が国の天皇の御存在を、西欧やチャイナやコリアの王や皇帝と同じ、国家最高の権力者であるものと履き違えたところに存在する、横論である暴論でしかないのです。

このことは、明治天皇替え玉説も同じです。
替え玉説の論拠は、
(1) 孝明天皇が攘夷派だったのに、子の明治天皇が開国派なのはおかしい
(2) 明治天皇の皇太子時代の御尊影と明治天皇の御尊影の写真の顔が異なる。
(3) 明治天皇の顔立ちは長州藩田布施出身の大室寅之祐(おおむろとらのすけ)の顔立ちと似ている。
という3点に集約されます。

しかし我が国における天皇の御存在の意義を知れば、孝明天皇殺害説と同様に(1)は否定されるし、(2)、(3)もただの主観でしかなく、再現性のある歴史としては認識されません。

>孝明天皇の時代に、幕府が独自の判断で米英仏などと安政五カ国条約(安政5年)を結んだことに対し、孝明天皇から水戸藩はじめ御三家、御三卿などに対して「戊午の密勅(ぼごのみっちょく)」を下しているから、孝明天皇は攘夷派であったのだと言う方がおいでになりますが、天皇は国家最高権威であって、政治に関与することはありません。

なぜなら天皇は国家最高の権威だからです。
開国か攘夷かという議論は、政治上の意思決定です。
つまりそれは、天皇の下にある政治上の意思決定権者が行うことです。
天皇は、その意思決定権者らが決定したことを承認するだけです。

幕末当時の国内世論は、開国か攘夷かで、真っ二つに割れていました。
朝廷内にあっても、それは同じです。
ですからその時々で、開国派が朝廷の要職にあれば、朝廷の意向は開国になるし、反対なら攘夷になります。
それだけのことです。

これは当然のことです。
なぜなら「決める」ということには、必ず責任が伴なうからです。
そして政治上の意思決定は、そこに必ず利害得喪が生じます。
早い話、病院を築けば多くの苦しむ人を救うことができますが、一方で病院用地のために土地を失う人も出るわけです。
民を「おほみたから」とするお立場の天皇が、毎回そうした政治責任を負うのであっては、天皇の御存在そのものが失われかねません。

ですからこれを防ぐために、はるか上古の昔の神話の時代に考え出された仕組みが、国家最高権威と国家最高権力を分けるという、我が国の統治の根幹です。
これを古い言葉で治(し)らす(知らす)といいます。

孝明天皇による「戊午の密勅」なるものも、それが出た時点で、これは朝廷内で攘夷派の高官たちの勢力が増したというだけの意味であって、それが天皇のご意向であるとは、当時の人たちに(すくなくとも大名クラスの、藩政を取り仕切る責任ある人たちの間では)理解されていません。つまり相手にされていません。
ですからこの「戊午の密勅」は、各藩に回送されていますけれど、これに応じて兵を出す藩はどこにもいなかったし、急進派とされる薩摩や長州藩でも、まったく相手にしなかったのです。

もしこれが本当に孝明天皇の勅令であったとするならば、全国の諸藩は、出兵どころかすぐにでも京の都に兵を繰り出して禁裏の御用を勤めなければならないし、実際にそれを行っていたことでしょう。
要するに、それが行われなかったということは、朝廷内の急進派の貴族たちの意向など、誰も相手にしていなかったということです。
また幕府の大老の井伊直弼にしても、「戊午の密勅」が朝廷の一部の貴族たちの暴走であると知っているからこそ、安政の大獄を実施したり、水戸の徳川斉昭を謹慎させたりしているのです。

朝廷の中には、律令体制時代から続く政庁としての政治権力機構があります。
ですから、そこにある政治家としての貴族たちの中には、攘夷派もあれば開国派もありました。
そして朝廷内で、攘夷派の力が強くなれば、朝廷の意向は攘夷になるし、開国派の意向が強くなれば朝廷の意向は開国に傾きます。

幕末というのは、幕府も朝廷も、日本全国の大名たちも、開国か攘夷かに揺れた時代です。
朝廷の中の強硬な攘夷派の貴族たちが、孝明天皇の名のもとに「戊午の密勅(ぼごのみっちょく)」が出されると、その一方で、開国派の人たちは、間をとって幕府と朝廷と一体となって国難を乗り切ろうと、公武合体を進める。
だから皇女である和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)が徳川家茂(第14代将軍)のもとに嫁ぐということも行われたのです。

ちなみにこの皇女和宮様の江戸下向に際しては、中山道をなんと3万人で行列しています。
さらに御輿の警護に12の藩、沿道の警備に29の藩が動員されています。
これが朝廷の持つ歴史と伝統の力です。
ただし、政治上の実権は、あくまで将軍家が担い、そこに朝廷の入り込むすきはありません。

すきがないということは、天皇は、あくまでも国家最高の権威であるということです。
そうであるならば、開国か攘夷かという政治上の意思決定に際しても、天皇の替え玉など、まったく必要がありません。

こうしたことは、我が国の神話に基づきます。
古事記でも日本書紀でも、天照大御神と天の石戸の神話に書かれています。
須佐之男(スサノヲ)が高天原にやってきたときに、天照大御神が須佐之男命と直接対決され、結果、天照大御神は、責任をとって天の石屋戸にお隠れになります。
ところが天照大御神は、太陽です。
隠れてしまって困るのはみんなです。
そのことを古事記は、「高天原だけでなく、中つ国もみな闇に閉ざされた」と描写しています。

そこで八百万の神々が立ち上がるのです。
そして政治責任を伴う政治的意思決定については、八百万の神々が自分たちで責任をもってこれにあたることにした・・・これが我が国初の国会であり、かつ、天皇が政治的意思決定者ではなく、政治上の意思決定は政府の高官たちが責任をもって行うことの事始めです。

神話に基づくというのが不服なら、こうしたことを意図して書にしたためた、天智天皇から持統天皇に続く飛鳥時代にも、その確立をみることができます。
天智天皇の時代に公地公民が行われ、天武天皇の時代に史書の編纂が命ぜられています。
これらを主導されたのが、天智天皇の娘であり、天武天皇の正妻でもあった持統天皇です。
持統天皇は、それまで皇位継承者をめぐり、様々な思惑がからみ、優秀だとされた大友皇子や大津皇子が不遇のうちに処刑されるという事態がありました。

同じことが三度繰り返されてはならない。
だから持統天皇は強い意思を以て、皇位継承者は霊統に従って初めから定められた者がなることとされ、さらに天皇は神々と繋がる祭祀を行うお役目、政治的意思決定は、政治の組織が行うと定められました。
そしてこれ以降、歴代天皇は、政治的な意思決定を行わず、どうしてもその必要があるときは、天皇位をご譲位されて、太上天皇となってこれを行うとされたのです。
我が国における太上天皇(上皇)の、最初のひとりが、まさに持統天皇です。

「そんなことはない。昭和天皇は終戦の御聖断を下されたではないか」という方もおいでになるかもしれません。
これもまた間違いです。
そうではなくて、だから「御聖断」なのです。
終戦を決めるとき、政府の見解は二分して、まったく意思決定ができない情況となりました。
だから時の鈴木貫太郎内閣は陛下に御聖断を求めたのです。
このことが戦後、明確に語られないのは、それが国家の非常大権を意味するからです。

国の交戦権は、実は憲法を越えます。
「人を殺してはならない」は法ですが、襲撃されて防御するのは正当防衛です。
これと同じで国家の非常時に実力を行使することは、法や憲法の枠組みを越えた国家非常大権です。

早い話、米国は、度々戦争を行っている国ですが、合衆国憲法に、「このような場合に戦争を行う」あるいは「このような場合には戦争を行ってはならない」などの条文はありません。
ないのになぜ戦争ができるかといえば、それは国家非常大権が大統領にあるからです。

我が国の終戦の御聖断は、この裏返しで、原爆使用によって、すでに日米戦争は国家間のいわば良識を持った戦争が、国際法をも無視した場外乱闘の様相を呈したことに憂慮された天皇が、揺れる政権の求めに応じて御聖断を下されたというものです。
非常時だから、天皇の非常大権が行使されたのです。

もし平時に陛下が御聖断を下されれば、その時点で反対派は粛清の対象になります。
それほどまでに御聖断というのは重いものなのです。

お隣のChinaでは、国家のトップは皇帝です。
半島なら、国王です。
そして皇帝や国王は、すべての政治権力と国家の最高権威を独占します。
西洋においても、国王は王権神授です。
王権は神から与えられたものだから、神の代理人として、その国の一切のオーナー(所有者)となります。
このことは大統領制でも同じです。
大統領は国のオーナーであり、国の所有者です。
ですからその国のすべてのオーナーです。

大統領を意味する「President」は、ラテン語の「pre(みんなの前に)sid(座る)人」です。
要するにトップの椅子に座る人がプレジデントで、その人がすべての人のオーナーとなります。

これに対し日本の天皇は、政治権力を持ちません。
その意味では、英語のエンペラー(Emperor)とも意味が異なります。
エンペラー(Emperor)の語源は、最高の命令権を持つ者というのが語源です。
つまり王よりも上位にある最高司令官だからEmperorです。
その意味では、チャイナの歴代皇帝などは、まさにエンペラーと言って良い存在ですが、我が国の天皇をエンペラーと呼ぶのは間違いです。
なぜなら天皇に命令権はないからです。

その意味では、仮にもし英語に訳すなら教皇や法王を意味する「The Papa(ザ・パパ)」に近いかもしれません。
「Papa(パパ)」というのは、父のことで、これに「The」が付くことで、すべての人の父を意味します。
ヨーロッパでは、教皇は各国の国王の下に置かれましたが、我が国では、国王の上にあって、国王の任命権を持つ人という位置づけになります。

権力による支配は、日本の古い言葉で「ウシハク」と言いますが、我が国は、その「ウシハク」を「シラス」の中に内包させたという点が、諸外国の歴史との大きな違いです。
諸外国では、「ウシハク」の中に「シラス」があります。
我が国では、「シラス」の中に「ウシハク」があります。
この違いは、民衆が権力者の「動産」とされるのか、それとも国家最高権威の「おほみたから」とされるかという点において、天地ほどの違いとなります。

個人的な意見としては、欧州における王朝の最大の誤りは、国王がローマ法王によって王冠を授けられていながら、その地位をローマ法王よりも上だというようにしたことにあると思っています。
もしヨーロッパの王朝の国王が、あくまでもローマ法王の下僕という形を尊重し、かつ王国の民がすべて神の民であり、その神を代理するローマ法王の子であると規程したならば、おそらくヨーロッパの歴史は大きく違った方向に向かったのではないかと思う。
ただ、ヨーロッパの特に中世は、とにもかくにも暴力が支配した力の世界でしたから、こうした哲学による国家の生成が成立せず、結果として現代にいたるまで、国は力の象徴であるかのようにされていることは、(ヨーロッパの人々にとって)たいへんに残念なことであったといえるのではないかと思います。(あくまで個人的見解です。)

我が国は、持統天皇の御世(7世紀の終わり頃)以来ずっと、我が国では、天皇は意思決定に関わらない、意思決定を行うのは、天皇によって親任された政治責任者の役割とされてきたのが日本です。

幕末における開国か攘夷かという二択は、国家の命運を担うたいへん重く大きな政治問題ですが、この時代、朝廷の内部でも、開国派と攘夷派が、政治責任者として度々入れ替わっています。
それは孝明天皇の御意思とは何の関わりもありません。

このことは明治天皇におかれても同じです。
つまり政治のために「孝明天皇を殺害」する必要もなければ、「明治天皇を替え玉」にする必要もないのです。

とりわけ幕末は、いまよりも、ずっと尊皇思想が強かった時代です。
むしろ尊王こそが常識化していた時代です。
ですから、幕末の動乱について「尊皇攘夷派」と「開国佐幕派」の争いという視点で描くのは間違いです。
なぜなら、幕府も全国の諸大名も民衆も、すべて「尊皇」であることに変わりがないからです。

ですから「攘夷派vs開国派」は成り立ちますが、「尊皇派vs佐幕派」という関係式は成り立ちません。
あえていえば「尊皇攘夷派vs尊皇佐幕派」の戦いが戊辰戦争であったわけで、これを「尊皇か佐幕」という視点で見るのは、人心を惑わす曲学と断じざるを得ません。

そうした時代背景にあって、尊王そのものを否定する「替え玉」説などは、そもそも成り立ちようがないし、その必要もないのです。
必要のないことをする理由がありません。
そのようなことをすれば、した人がかえって政治的に立場を悪くするだけです。

要するに「孝明天皇殺害説」や「明治天皇替え玉説」などを述べる人は、申し訳ないけれど、我が国の天皇の存在を、チャイナの皇帝や西洋の王様と同じ、国家最高権力者としての存在の延長線上に捉えています。
それはつまり、我が国天皇についての勉強不足、我が国国体や神語についての勉強不足であり、我が国の天皇の御存在のありがたさを見失った、歴史学の観点からは「とんでもない説」でしかありません。

なぜなら、開国か攘夷かという選択と意思決定は、あくまで国権の発露だからです。
そして国権を揮(ふる)うのは天皇のお役割ではなく、あくまで政治権力です。
天皇は、その国家権力の、はるか上位に位置する国家最高権威であって、その権威は一切の国家権力を行使しないことによって保たれているのです。

江戸時代であれば、国権の頂点にあったのは、機能的にも実質的にも徳川将軍家です。
しかし将軍は、天皇によって親任(天皇が任命すること)される、天皇の部下です。
このことは、それ以前の時代の太政大臣や左大臣、右大臣も同じです。
そしてひとたび天皇が親任すると、それは神によって任命されたことと同じ意味合いを持ちますから、一切の変更ができません。
つまり、解任することができません。

では、太政大臣や将軍の解任は、いつ行われるのかといえば、それは次の天皇が御即位されたときです。
新たな天皇が、次の将軍や太政大臣を親任するのです。
それまで解任はありません。
つまり天皇の親任に朝令暮改はありません。

天皇は、いわば国家最高の大神官であって、神にもっとも近いお立場です。
その天皇が親任するということは、神によって親任されたと同じ意味合いを持つのですから、人による解任などありえないわけです。
ですから太政大臣や将軍は、自分から辞任するか、逝去するかでなければ、生涯、天皇によって解任されることはありません。

その将軍であった徳川慶喜が大政奉還したのが、慶応3年10月14日です。
孝明天皇が崩御されたのが、慶応2年12月25日です。
明治天皇の御即位が慶応3年1月9日です。
つまり慶喜将軍が大政奉還したのは、孝明天皇が崩御され、明治天皇がご即位された、はるか後の出来事なのですから、まず、倒幕派にとって孝明天皇が不都合な存在であったということになりません。

昨今、昨今、メディアや学会において、半島式のファンタジー史観でものごとを見ようとする人が増えています。
半島は上下関係だけの「古代」が現代まで続いている国です。
上に立ちさえすれば、どのような不正も許され、人を支配して自分の贅沢を得ることができるというのが、彼らの考え方だし、歴史認識における基礎思考です。

しかし我が国は、半島とは国の成り立ちも違うし、歴史の古さも圧倒的に異なります。
おかしな曲解は厳に慎むべきです。

なぜならそれは、我が国における天皇の御存在の重さを軽視して、西欧や東亜の王朝と同一視するものでしかないからです。
王朝なら改廃や易姓革命が有りえます。
我が国天皇は、どこまでも万世一系の国家最高権威です。
ここを履き違えてはいけません。

※この記事は2017年9月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。

2019年10月16日水曜日

2019年10月15日 (火) 英米では、研究書も多数発行されて話題となっていた

2019年10月15日 (火)

英米では、研究書も多数発行されて話題となっていた
ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

ジョン・アール・ヘインズ&ハーヴェイ・クレア著 中西輝政監訳
『ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動』(扶桑社)

英米では、近代歴史学者にとってはソ連と近代史の関係を解明する手掛かりになる重要な資料とされ、研究書も多数発行されて話題となっていた。

ところが、日本の近代史研究者らによるブェノナ文書が出版されることはなかった。

というのも、ネット環境によって解明されたように、言論・メディアが在日・反日勢力によって支配されていたからだった。

歴史学学会もまた在日・反日勢力によって支配されており、彼らがソ連の悪事が日本人に知られることを歓迎しなかったからだった。

ーー

このヴェノナ文書が日本人に広く知られるに至るのも、日本人がネット環境を手に入れてからのことだったのだ。

ーー

ようやく待望のブェノナ文書の日本語訳がでたことになる。

米ソ冷戦時代の、ソ連による謀略・スパイ工作活動が、この機密文書の公開で明らかになった。

例えばべ平連活動家の小田実がソ連から資金を得ていたなどは、日本の共産主義者(リベラル)らにとっては、絶対に隠しておきたかったことだろう。

つまり、日本で共産主義(リベラル)活動をしている人たちは、ソ連あるいは北京や平城から指示されて活動していた可能性があるということだ。

ーー

それゆえ日本の歴史学会を支配してきたリベラル学者はブェノナ文書の内容には触れようともしなかったのだ。

今回の日本語訳は、日本の近代史論壇に衝撃をもたらすはずだ。

ーー

戦後のスパイ事件も数多いが、近年とくに注目を集めたのはレフチェンコ証言だった。

KGBの工作員だったレフチェンコが米国に亡命した。

その後彼は、米国議会公聴会で、日本での世論工作に従事し、ジャーナリスト、学者、文化人に工作した全容を証言した。

ーー

彼は、日本人の「影響力のある代理人」「自覚のない代理人(エージェント)」たちの採用方法から、いかなる工作によって日本の世論をソ連寄りに誘導出来たかをとくとくと語った。

ーー

当時はまだソ連の軍事的脅威が目の前にあった。

評者(宮崎)はすぐに翻訳し出版したが、注目され、よく売れロングセラーとなった。

関心が高かったのだ。

ーー

ソ連崩壊後、ノモンハン事変を含む多くのソ連時代の機密文著が公開され、つぎつぎと史実が明らかとなった。

戦後の歴史論壇を壟断し、ソ連寄りの発言をしてきたリベラル学者やジャーナリストは真っ青になった。

この「ヴェノナ」と呼ばれる夥しい機密文書は、最近の「パナマ文著」や「パラダイス文書」とはまったく趣が異なる。

つまり国家の安全保障に直接的にかかわる機密の宝庫なのである。

ーー

なにしろフランクリン・D・ルーズベルト政権がソ連の工作員らによって操られていたことまで分かるのだ。

しかも戦争中からはじまっていた解読作業を妨害し、中止命令をだしたのは大統領側近だったカリーだった。

カリー大統領補佐官はソ連の工作員(スパイ)だったのだ。

ーー

原著者らは、この文書の発見までに重ねた苦労、そして機密にたどり着くまでの経緯をさらりと語る。

戦争中に暗号の解読作業は続けられていた。

当時、米国の諜報機関はドイツの「エニグマ」と日本軍の「パープル」の暗号解読を優先させており、ソ連の暗号解読はやや遅れ勝ちだった。

寧ろ英国の情報機関のほうが一歩先を走っていた。

あまりに衝撃的な内容を含むため、この機密文書を封印し、じつに1995年まで、アメリカでは公開されなかったのだ。

ーー

暗号が複雑極まりない技術の粋ともいえるレベルだったのに比較して、一方でKGBのニックネームの付け方には安直、想像で解きやすいカバーネームが散見された。

「自分たちにとって憎い敵であるトロッキストやシオニストには、それぞれ『イタチ』と『ネズミ』といった強い軽蔑を示す」ものであった。

「FBIは百姓小屋、首都ワシントンはカルタゴ」などと「ソ連が暗号通信文でのカバーネームを選ぶ際にはしばしば安全を軽視したためにアメリカの防諜機関が有利になった」

ーー

アメリカ共産党は、ソ連と密接な連絡網を構築し、新聞、ラジオに浸透していた。

『TIME』にもソ連の工作員がいた。

大記者(ジャーナリスト)の秘書もスパイだった。

ハリウッドにもスパイ工作が展開されていた。

ーー

これらの活動も、実名と暗号名とが並記されており、いかに宣伝、情宣戦争にソ連が重点を置いていたかが分かる。

現在の支那共産党の暗躍ぶりも、日本のメディアへの浸透をみれば明らかだ。

しかし、日本にはスパイ防止法がないため、半ば公然と情報工作が行われている。

ーー

著者らの地道な研究によって、本書はソ連スパイ研究の最大の文献となった。

それゆえに米国の自由主義者(共産主義者)が「偽造文書」だとか、陰謀とか言って、消し去ろうとしたのだった。

しかしヴェノナ文書に拠って、F・D・ルーズベルト政権の中枢におよそ200名のソ連工作員が陣取り、そのうちの百名の実名が判明した。

副次的な成果としては英国、豪、カナダに於けるソ連の代理人(エージェント)を特定できた。

ーー

「カチンの森」でポーランド将校団1万4000名が処刑された。

ソ連はナチスがやったと主張したが、ヴェノナ文書から、スターリンの命令によるソ連軍の仕業であったことがわかった。

問題は、日本のリベラルを自称している共産主義者らにソ連がどのような指示を出し、戦後の日本社会を支配するに至ったかの経緯についてこの文書からどれだけ解明できるかである。

例えば日本共産党はなぜ自主憲法から護憲に変身したのか?

これらは日本の近代史研究家に課せられた大きな課題であろう。 

2018年10月7日日曜日

決して信用するな!「北朝鮮の甘言」に裏切られ続けた日本

決して信用するな!「北朝鮮の甘言」に裏切られ続けた日本
https://smart-flash.jp/sociopolitics/51514
 建国70年を迎えた北朝鮮。共産主義国でありながら、3代にわたって最高権力者が世襲される不思議な国は、核開発をカードに世界を振り回す。
「北朝鮮は、追い込まれると譲歩する。でも譲歩しながら噓をつく。この行動パターンの繰り返しなのです」(麗澤大学客員教授・西岡力氏)
 1994年、米クリントン政権は、北朝鮮の寧辺核施設への先制攻撃を本気で検討した。
「北朝鮮は追い込まれて、金日成が『原子炉を止める』と譲歩した。自分たちで開発した原子炉を止めるのだから、大きな譲歩です。だが一方で『原子炉を止めるカネ』を要求した。
 それでKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)が設立され、プルトニウムを抽出しにくい軽水炉を2基作ることになったわけです。約45億ドルかかるとされたのですが、アメリカはカネを出さない。そのとき村山富市政権が約10億ドルを支出すると合意してしまった」(西岡氏)
 だが北朝鮮は満足しない。
「軽水炉が完成するまで、火力発電所で使う重油を要求し、米国は毎年50万トン提供すると約束した。でも交渉がまとまると、まとめた側が弱くなる。金正日は、噓をついて時間を稼ぎ、裏では核開発を進めていた」(同前)
 2002年にブッシュ米大統領が北朝鮮を「悪の枢軸」と批判。追いつめられた北朝鮮は、今度は日本に譲歩した。
「2002年の小泉訪朝で、核開発していたことを認めない『日朝平壌宣言』にサインさせられた。拉致は認めて譲歩したけど、ここでも噓をついたわけです」(同前)
 北朝鮮をまともに相手にしてはいけない、と言うのは東京通信大学・重村智計教授だ。
「1990年の金丸氏以降、競って訪朝したが、コメなどの援助品を奪われただけ。北朝鮮は『工作国家』。情報収集して相手の弱みを握り、ニセ情報で攪乱する。『乗り遅れるな』論であせってはダメです」
 安倍晋三首相は、内閣情報調査室トップの北村滋内閣情報官に北朝鮮との交渉を託していた。だが7月に極秘で会談する計画は、なぜか米紙にすっぱ抜かれた。
 一筋縄ではいかない相手だ。
【日朝交渉史】
●金丸信 賛否両論のある共同宣言(1990年9月)
「早い時期に国交正常化すべき」と共同宣言。「戦後45年の償い」の文言もあった。
●土井たか子 朝鮮労働党との深い交流(1990年10月)
 朝鮮労働党の創建45周年報告会で、外国からの招待者のなかでは3番めに紹介された。
●小沢一郎 金丸信に言われて訪朝(1990年10月)
 土井たか子とともに式典に出席。北朝鮮にだ捕されていた日本人乗組員が帰国した。
●森喜朗 金正日には会えず(1997年11月)
 拉致事件について「行方不明者として調べる」と言質を得たが、翌年「発見できず」の返答。
●村山富市 テポドン発射への制裁を解除(1999年12月)
 前年のミサイル発射で中断していた日朝交渉の早期再開で合意。食糧支援の凍結も解除。
●小泉純一郎 拉致被害者帰国実現の裏で(2002年9月)
 5名の帰国を実現。だが日朝平壌宣言に「拉致」の言葉を残すことは拒否された。
(週刊FLASH 2018年9月18日号)

2018年10月5日金曜日

「宮崎正弘ブログ書評奥山篤信」より抜粋編集

2018年10月 5日 (金)
人類に与えた被害は、共産主義は高々100年だが、キリスト教は2000年である
ーー以下「宮崎正弘ブログ書評奥山篤信」より抜粋編集
渡辺京二『バテレンンの世紀』(新潮社)
「渡辺史学」の到達点である!
かつて渡辺氏の著書『逝きし世の面影』について、西部邁先生は次のように評した。
ーー
「(渡邉氏は)幕末から明治にかけて日本を訪れたヨーロッパ人たちの手紙、論文、エッセイその他を膨大に渉猟し」た。
「(そして『逝きし世の面影』にて)当時の西洋人が見た日本の姿を浮かび上がらせた」
「多くのヨーロッパ人たちが、この美しき真珠のような国が壊されようとしていると書き残している」と。
ーー
評者(奥山)は渡辺氏は一次資料から緻密な分析をする歴史家と見ている。
ーー
共産主義とキリスト教はお互い犬猿だが、根っこは同じだ。
美しい理想郷と殺戮と拷問の現実と思い上がり。
これらは、共産主義社会と神の国に共通している。
ーー
しかし人類に与えた被害は、共産主義は高々100年だが、キリスト教は2000年である。
そんな意味でもこの渡辺氏の緻密な調査と分析は実に興味深い。
ーー
1582年に四名の少年を中心とした使節団がローマへ派遣された。
九州のキリシタン大名、大友宗麟・ 大村純忠・有馬晴信の名代としてで、イエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノが発案したものだった。
ヴァリニャーノは自身の手紙の中で、使節の目的をこう説明している。
ーー
第一はローマ教皇とスペイン・ポルトガル両王に日本宣教の経済的・精神的援助を依頼すること。
第二は日本人にヨーロッパのキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後にその栄光、偉大さを少年達自ら語らせることにより、布教に役立てたいということ。
ーー
使節の少年たちは有馬晴信が日野江城下に建てたセミナリヨで学ぶ生徒の中から選ばれ た。
派遣当時の年齢は十三~十四歳であった。
その四人は
・伊東マンショ(主席正使)大友宗麟の名代。
宗麟の血縁、日向国主伊東義祐の孫、後年、司祭に叙階される。
一六一二年長崎で死去。 
・千々石ミゲル(正使)大村純忠の名代。
純忠の甥で有馬晴信の従兄弟。
後に棄教。 
・中浦ジュリアン(副使)後年、司祭に叙階。
・原マルティノ(副使)後年、司祭に叙階。
ーー
渡辺氏は『天正遣欧使節記』にあるローマへの少年派遣団の一員であった千々石ミゲルの棄教について語っている。
しかしなぜ氏は、彼らの「見聞録」の中で書かれている下記を敢えて書かなかったのか。
ーー
「我々の旅行の先々で、売られて奴隷の境遇に落ちた日本人を 身近で見たときには、こ んな安い値で小家畜か駄獣(牛や馬)の様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい 怒りに燃え立たざるを得なかった」
「全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へ、あんなに安い値で掠って行かれ 売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか」
ーー
まさに性奴隷の生娘を含む日本人奴隷たちの記述がないのだ。
ーー
宣教師のうわべの綺麗事の目的とは裏腹に、まさにあくどい主な目的である奴隷貿易への記載が見当たらないのだ。
ちなみに1607年に南米ペルーのリマでおこなわれた人口調査によれば、当時の人口 25454人のうち、日本人の奴隷として男9名と女11名がいたことが記載されている。
この事実こそが1587年豊臣秀吉をして宣教師追放令を発布させたのだ。
が、その理由は、ポルトガル人がキリスト教の布教の一方で南蛮貿易において多数の日本人を奴隷として叩き買い、船に連行し、海外に売り飛ばす事実を知ったからだ。
ーー
秀吉はまさに宣教師らの口先の偽善と欺瞞に怒りを爆発させたのだ。
つまり宣教師追放令は日本の行政府の長の施策として賞賛すべきものであった(拙著「キリスト教を世に問う」)。
ーー
私は、キリスト教弾圧の功績者は秀吉だと考えている。
が、渡辺氏が描く秀吉は何か思いつきとか助言でコロコロ変わるいわばピエロ的存在で矮小化されている。
そして弾圧を実質的に実行したのは徳川家康以降の徳川政権だったとしているのだ。
ーー
家康は秀吉の宣教師(バテレン)追放令を踏襲して、治世の当初から日本を神仏国家として、キリスト教を拒否する姿勢であった。
が、彼の海外情勢に対する的確な認識があり、海外に向かう知識の窓口であったからこれを利用せねば損だと思っていた(これは織田信長と同様)。
それゆえ、西洋諸国が交易と布教を切り離して、宣教を抑制してくれるなら、ある程度のキリスト教の存在を黙認する用意はあった。
ーー
しかしそんな黙認につけあがったキリスト教は日本において最盛期を迎え信者が37万人まで増えたのだった。
その交易と布教を分離しないスペイン・ポルトガルへの苛立ちが募り、家康をしてついに全面禁教とさせたのだった。
まさに「みだりに邪法を弘めて正宗を惑わし、もって城中の政号(政体、国柄)を改めて己が有となさんと欲す」である。
ーー
実際、家康は日本の軍事力に自信をもっていた。
それで西洋人らの現実の武力侵略は恐れていなかった。
彼が恐れていたのはキリスト教の文化的侵略だったのだ。
ーー
つまり秀吉の奴隷貿易に対する「人道的怒り」よりも家康の「文化的侵略への危機感」こそが、まさに合理的な認識だった。
芥川龍之介は「神神の微笑」の中で、「キリスト教は日本の霊の力には絶対に勝てない、つまり日本の風土になじまない」と書いている。
さらに棄教者フェレイラは、『顕疑録』を書いてキリスト教を攻撃している。
フェレイラは、最終的無神論者となった。
ーー
つまりキリスト教信者だったものもキリスト教を批判しているのだ。
むしろ渡辺氏はキリスト教への尊敬の念をお持ちのようで、だからこそ奴隷貿易やローマ見聞録などをあえて書かなかったのではないのか。
氏は1948年日本共産党に入党し、1956年のハンガリー動乱で共産主義に幻滅し脱党した青年時代がある。
それで私は、渡辺氏が共産主義者からの転向隠れキリシタンではないかと思ったほどだ。

2018年9月29日土曜日

LGBTのことも、今後、自由闊達に議論

LGBTのことも、今後、自由闊達に議論していけばいいのに、今回の「新潮45休刊事件」は、逆に、LGBTをタブー視するもの

言論と表現の自由が守られている日本では、LGBTのことも、今後、自由闊達に議論
していけばいいのに、今回の「新潮45休刊事件」は、逆に、LGBTをタブー視するもの

私は杉田論文を読んで、前述のように杉田氏が、「少子化無策」に対して、あるいは、それへの支援に度が過ぎている行政や、それをアト押しするマスコミに対して激しい怒りを持っている人物だと思ったが、「LGBTへの差別主義者だ」とは思わなかった。
しかし、それは「百人いれば、百人の読み方がある」という通り、私だけの感じ方であり、人に強要するつもりも、同意を求めるつもりもない。それは、私の自由だからだ。言論と表現の自由が守られている日本では、自由闊達にLGBTのことも議論すればいいだけのことである。
だが、「これはLGBTへの差別だ」と声を上げ、その自由な言論空間を圧殺しようとする勢力に、新潮社は「白旗」を掲げてしまった。かつて、どんな圧力にも負けない毅然とした社風を誇った新潮社。その中で思いっきり仕事をさせてもらった私には、「なぜ新潮社はこうも見識を失ったのか」と思うだけである。
前回のブログでも書いたように、非難の風を真っ向から受けることを恐れない新潮社には、多くのエピソードがある。元週刊文春の名物編集長、花田紀凱氏と昨年12月に出した対談本『週刊文春と週刊新潮 闘うメディアの全内幕』(PHP新書)でも、そのうちのいくつかを紹介させてもらった。
1997年、神戸の酒鬼薔薇事件でFOCUSが犯人の少年の顔写真を掲載して新潮社が日本中からバッシングを受け、店頭からFOCUSばかりか、週刊新潮まですべて撤去されたことがある。
児童文学作家の灰谷健次郎氏をはじめ、作家が作品を新潮社から引き上げる騒動に発展し、社内でも、今回と同様、出版部の編集者を中心に「大批判が巻き起こった」ものである。
しかし、その頃の新潮社には、元週刊新潮編集長・山田彦彌氏、元FOCUS編集長・後藤章夫氏という編集出身の両常務がおり、外部の作家に動かされて安っぽい正義感を振りかざす編集者たちを二人が“一喝”して、いささかの揺らぎも外部に見せることはなかった。
言論や表現の自由は、それ自体が民主主義国家の「根本」であり、たとえ反対する人間や政治勢力が大きかろうと、それをどこまでも守らなければならないという「毅然とした姿勢」が会社に貫かれていたのである。
今回、社内で「外部に向かっての謝罪」を要求する編集者たちの突き上げを食らって、役員たちが右往左往し、ついには、「休刊」という恥ずべき手段をとったことに対して、私は、ただただ呆れるだけである。
新潮社の幹部の中には、自分で判断することもできず、外部の執筆者に相談して、「謝罪の上、新潮45を廃刊にするのが適当でしょう」とアドバイスされ、そのことをご丁寧にツイッターで「暴露」までされていた人がいた。
私が気になるのは、新潮社の社員がツイッターで、あるいは、外部のマスコミで、自らを「自分は差別主義者ではない」という安全地帯に置き、「言論・表現の自由」の重さも自覚しないまま、綺麗事(きれいごと)の発信や発言をつづけている人間がいることである。
彼ら新潮社の後輩には、フランスの思想家であり、哲学者だったヴォルテールの以下の言葉の意味を知って欲しいと思う。「僕は君の意見には反対だ。しかし、君がそう主張する権利は、僕が命をかけて守る」
言論・表現の自由がいかに大切かということの本質を、18世紀に生きたこのヴォルテールは語っている。要は、たとえ自分の意見とは違っていても、その人の言論や思想は守らなければならないということであり、それは同時に、既述のように「百人いれば、百人の読み方がある」ということを認める、ということでもある。
言論と表現の自由が守られている日本では、LGBTのことも、今後、自由闊達に議論していけばいいのに、今回の「新潮45休刊事件」は、逆に、LGBTをタブー視するような風潮をつくってしまった。
世の中に対して「超然」としていた新潮社がその矜持(きょうじ)を捨てた今、日本のジャーナリズムが、大いなる危機に立っていることを感じる。
嬉々として今回の事件を論評する新聞の社説や記事を読むと、暗澹(あんたん)とさせられる。しかし、圧力に屈しない毅然としたジャーナリズムの本来の道を、微力ではあるが、これからも進みたいし、守っていきたいと心から願う。

(私のコメント)

昨日も、「最近では大きなマスコミほど信用ができなくなってきている。大きなマスコミは様々な方面から圧力を受けて、どうにもならなくなっているようだ。「新潮45」という雑誌も廃刊になりましたが、LGBTについても自由な議論ができなくなってしまっているようだ。」と書きましたが、最近のマスコミはどうもおかしい。

言論の自由を、自ら放棄するような風潮が出来てしまったようだ。杉田氏の書いたことが間違っているのなら間違っていると反論すればいいだけの話であり、LGBTでもLGBに関しては、普通に結婚して子供がいる人もたくさんいる。程度問題であり、趣味的な個人的な問題である。

趣味的な問題や個人的な問題は、LGBTだけではなく、ロリコンだとかマザコンだとかいろいろありますが、非難するのも賞賛するのも自由であり、人格攻撃でなければ何の問題もない。レスビアンやゲイを売り物にした芸人さんもいるくらいであり、それを批判されたら名誉毀損で訴えたということも聞かない。

杉田氏が、批判されたのは右派の国会議員であるからだろう。政治家としてけしからんという程度なら予測されたことですが、それを擁護した「新潮45」が廃刊されるというのは行き過ぎだと思う。発行部数が減ったから廃刊すると言うのならわかりますが、出版社として言論の自由は守られるべきだ。

確かにLGBでも、結婚して子供がいる人もいるから「生産性がない」と言うのは言い過ぎだと思いますが、LGBTという個人的な問題に税金扱われることに対して批判したものらしい。私自身は、LGBTでもないが自分から言わなければわからない問題であり、わざわざカミングアウトする人もいる。

私自身も、適齢期になっても結婚しないのでホモだのゲイだのと陰では言われることもあったかもしれないが、大借金を抱えていては結婚したくても出来ないといえば誰もが納得してくれた。いつ自己破産するかもしれない身としては家族を犠牲にするわけには行かない。

門田氏は記事で、『よく出演させてもらっている読売テレビの「そこまで言って委員会」で、昨年、私は、少子化対策として「子育て支援金」を設け、「国は第1子に百万円、第2子には3百万円、第3子には1千万円を出すべきだ」と主張したことがある。』とかいている。

私も同じような意見を書いてきましたが、少子化問題は、国家戦略家にとっても重要問題であり、国防政策にも影響を与える問題だ。にもかかわらず国はこれらしい政策をおこなっていない。子ども手当の月額23000円も取り消されてしまった。金がないとうのなら高齢者向けの年金から回せばいい。

高齢者に年金を与えても彼らには「生産性がない」。20代や30代の若年夫婦に金を配れば少子化問題は解決するだろう。少なくとも経済的な理由での少子化問題は解決する。未婚の母にも金を配ればいいのではないだろうか。子供を3人育てれば毎年300万円貰えれば生活が成り立つ。

中国がハイテク技術を盗み出し、

中国がハイテク技術を盗み出し、米国の覇権を脅かそうとしても、中国の権力者たち自身が米国に資産と親族を逃ている

株式日記と経済展望

中国がハイテク技術を盗み出し、米国の覇権を脅かそうとしても、中国の権力者たち
自身が米国に資産と親族を逃しているからだ。中国は「砂上の楼閣」なのだ

中国に不利な報道ができない理由

米中貿易戦争は激化の一途を辿っている。米国のトランプ政権は、中国に対する制裁関税の第4弾に踏み切る構えだ。勝敗の行方ははっきりしている。中国の敗北である。本当の戦いは「その後」に控えている。
先週のコラム「米中戦争を招いた『そもそもの原因』に触れないマスコミの愚」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57602)は、大きな反響をいただいた。中国による知的財産侵害の被害を被っているのは米国だけでなく、日本企業も同じだ。
中国は自国に都合の悪い報道を見つけると、強烈な圧力をかけて黙らせてきた。そうした事例は先週紹介した産経新聞だけでなく、枚挙にいとまがない。
トランプ大統領補佐官のピーター・ナバロ氏は著書『米中もし戦わば』(文藝春秋)で、米通信社のブルームバーグが2012年、習近平国家主席を含む当時の中国共産党幹部による巨額蓄財を報じると、中国は同社の金融情報端末の不買運動を仕掛けた顛末を紹介している。
情報端末販売は同社のドル箱事業だ。「すると、ブルームバーグは中国に関する硬派のニュース報道事業から撤退してしまった。…(同社)会長は中国市場の重要さを認め、『われわれは中国に残る必要がある』と語った」(同書)。
同じく蓄財問題を報じたニューヨーク・タイムズやブルームバーグは翌年、何人もの記者がビザ更新を拒否された。中国報道に携わる記者で、この話を知らない人はいない。中国に不利な報道をすれば、どういう目に遭うか、だれもがよく分かっている。だから、自主規制してしまうのである。
貿易戦争を報じるのは、経済部記者とワシントン、北京の特派員たちという事情もある。上に述べた事情で、北京特派員が中国に都合の悪い話を書けるわけがない。経済部記者や米国の特派員も中国を批判して、中国の同僚を困らせたくない、という配慮が働く。
日本のマスコミに「だれか勇気ある記者はいないのか」などと期待しても無駄だ。彼らはサラリーマン集団である。会社と同僚に迷惑をかけるような真似はできない。
こうした事情を念頭に置いて考えれば、日本のマスコミがトランプ政権の対中制裁を「保護主義だ」と非難し、中国の言い分に同情的な理由も分かるだろう。そんな解説や報道を真に受けていては、事の本質は分からなくなってしまう。
そのうえで、本題だ。(中略)
先に紹介した12年のブルームバーグ記事は、まさしく習氏も含めた中国共産党幹部の巨額蓄財を問題にしていた。どこで蓄財していたのか。もちろん米国も含まれる。米国だけでなく、他国や租税回避地(タックスヘイブン)などもあるだろうが、米国当局はカネの流れを把握しているはずだ。
つまり、米国は究極的には資産凍結を通じて、共産党中枢を直撃する手段を持っている。中国が貿易戦争で敗北し、米国債売却によって「金融戦争」を仕掛けたとしても、米国は対抗できるし、本気になれば、中国要人の資産凍結も不可能ではない。
なぜこうなるかといえば、結局のところ、中国がハイテク技術を盗み出し、米国の覇権を脅かそうとしても、中国の権力者たち自身が米国に資産と親族を逃しているからだ。言い換えれば、中国が築いてきたのは「砂上の楼閣」なのだ。「泥棒たちの楼閣」である。
貿易戦争で敗北し、金融戦争でも敗北したら、中国はどうするか。私の最大関心事はそこにある。おそらく、中国は最終対決に備えて、東アジア周辺の勢力圏を固めようとするのではないか。経済的手段で反撃する術がないので、軍事的な守りを固めるのだ。
そうなると、尖閣諸島をめぐる情勢も一段と緊張するだろう。
中国は2016年、南シナ海の人工島建設をめぐって、中国の主権を否定した仲裁裁判所の裁定を「紙くず」と非難した。習氏は2015年の訪米で、当時のオバマ大統領に「軍事基地化はしない」と約束しながら、大統領を欺き、着々と軍事基地を作ってきた。そういう国だ。
米中の対立はこれから、一段とキナ臭くなる。貿易戦争は、その後に控えた本格的な米中対立の序章である。ピンぼけ報道に惑わされている場合ではない。

(私のコメント)

最近では大きなマスコミほど信用ができなくなってきている。大きなマスコミは様々な方面から圧力を受けて、どうにもならなくなっているようだ。「新潮45」という雑誌も廃刊になりましたが、LGBTについても自由な議論ができなくなってしまっているようだ。

テレビでも言葉刈りなどで、自由な発言ができなくなっている。「差別だ」「偏見だ」と言っていいたら議論にならなくなってしまう。そしてレッテル貼りや人格攻撃などで批判するようになる。大マスコミも裏取りをせずにそのまま報道するようになったし、大マスコミだから信用ができなくなっている。

トランプ大統領と大マスコミとの「フェイクニュース」論争は、話題になっていますが、CNNとトランプはどちらが正しいのだろうか。どちらも正しいことも言えば間違ったことも言っているだろう。しかし大マスコミは大きな組織と人材を抱えているから検証することができるが、個人では検証しようにもできない事が多い。

ネットでは個人が情報発信をしており、当事者が意見を述べていることもある。だから早さや正確さではネットの方が正しいこともある。だから間違った報道をすればテレビでも新聞でもネットで叩かれることが多くなった。新聞記者でも調査できることには限度が有り、全部が正しい事とは限らない。

大マスコミの中国に対する報道も、中国政府からの圧力を恐れて歪められた報道されている。最近ではスウェーデンでの中国人観光客のマナーの悪さを報道したら、中国政府からの猛烈な抗議が寄せられましたが、内容がユーチューブなどで報道されるに連れて、猛抗議をした中国政府を批判する流れに変わった。

これに対して中国人たちは、白人からの有色人種への差別だと言い換え始めた。人種差別だと抗議すれば通ると思ってのことなのでしょうが、動画を見れば明らかにマナーが悪いのは中国人観光客なのだ。大国になれば大国にふさわしい国民になるべきなのですが、植民地根性はなかなか治らない。

歴史を見れば、隆盛を誇った大帝国が滅びるのは、原因を探れば国民のモラルの荒廃が原因であり、モラルが荒廃すれば政治も乱れる。世界最初の世界帝国となったモンゴル帝国も、武勇に優れていても征服した民族を皆殺しにするような帝国では長続きはしなかった。

逆に長続きした国としては、日本が一番の長寿国ですが2600年の歴史を持っている。それはモラルがある国民であり、独裁者がいなくても国家が維持できる国であり、一番民主的な国家だからだ。悪い権力者が現れたとしても、革命を起こすこともなく排除してきた。

ロシアや中国は凶悪なモンゴル帝国の子孫であり、その野蛮な文化がロシア国民や中国国民に息づいている。そのような国民をまとめるには独裁制度しかなく、独裁政権を倒すにも革命騒ぎにならないと倒せない。革命騒ぎになれば大きな混乱が起きて殺戮が起きる。

日本国民は、戦争に敗れても天皇を断頭台に送ることもせず、国外追放することもなく国家を維持してきた。それはロシア人や中国人には理解できないことであり、欧米人は多少は理解できたようだ。モラルが大切かは理解できる人でないと理解することができない。

中国人はハイテク技術は盗むものであり、国家や領土も盗んできた。中国は少数民族を弾圧して同化政策をしていますが、これも大マスコミは報道しようとはしない。中国政府の圧力が怖いからだ。独裁者たちおは不正蓄財で財産をタックスヘイブンに隠してきた。そして子供たちを国外に移住させて、いつでも逃げ出せるようにしている。

2018年9月28日金曜日

以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集 田中英道『日本人を肯定する 近代保守の死』(勉誠

2018年9月27日 (木)

共産主義や地球主義というのは、一部の人たちが、自分たちだけの利益のためにその他大勢を犠牲にする考え方であった
ーー以下「takaakiブログ」より抜粋編集

「神の実体」を昔の人はどうやって感じていたのだろう?
本居宣長は古事記伝に次のように記している。

「凡(すべ)て迦微(かみ)とは古御典(いにしえのみふみ)等(ども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて」

「其を祀(まつ)れる社(やしろ)に坐(ま)す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云(い)はず、鳥獣(とりけもの)木草のたぐひ海山など、其与(そのほか)何にまれ」

「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微とは云(いふ)なり」

「すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば神と云なり」

迦(か)… 美しい声 
微(み)… かすか 非常に細かい

漢字にあてられた意味から探ると、とても興味深い結果がでた。
なんというか…「体感」なんだな、と。
実体がないのに、日本人はこうやって的確に表現していることに驚く。

ーー抜粋ここまで

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

田中英道『日本人を肯定する 近代保守の死』(勉誠出版)

日本土着の信心である神道は教典もなければ布教もしない。
これはユダヤ教とはまったく異なるものだ。
「初詣にいくこと自体が神道です」
「時間というものも自然の一部だからです」
と田中氏は言う。

ーー

新年に日本人は、初詣をして空気が変わるのを体感する。
日本人には季節感の節目を感じる感覚があるのだ。
ところが西洋では新年に花火をうちあげるが、日本人が感じているような季節の感覚はない。

ーー

「神社仏閣へ行くと、とてもすがすがしい気持になる」
「周囲の色彩が、洗われたような、透明感のある新しい雰囲気を持つというのは日本人には親しみのある感覚です」
本居宣長は『古事記伝』のなかで、その不思議を「迦微」(かみ)と比喩(ひゆ)した。
「明治以降、神道の『神』を西洋一神教の『神』と同じように使うようになったのが誤解の始まりです」

ーー

戦後はGHQが神道指令を出して神社を破壊し競馬場にしようと企てるなどアメリカの荒々しい仕業は、日本の神々をおこらせた。
誤解は最初の接触「ファースト・コンタクト」の時から幾重にも起きていた。

ーー

日本人が西洋人に最初に接触したのは1453年に種子島に漂着したポルトガル人だった。
そしてその後、十五世紀に日本にやってきた切支丹伴天連の宣教師らは絶対神を「大臼(デウス)」と書いた。
日本人は、それを大日如来の変形で仏教の新派と誤解したのだった。

ーー

信長も新興宗教の一種くらいにしか当初に認識はなかった。
キリスト教が布教を目的に多くの国々を侵略し、民を奴隷として売り飛ばし、其の国を一神教で支配しようと企図していることに気がつくのは秀吉の時代である。

ーー

さて本書の主題とすこし離れるが、じつは田中氏は、重要な事実を指摘している。
それはコロンブスがユダヤ人であったことを評者(宮崎)は知っていたが、ルイ・ソテロという日本にやってきた宣教師が改宗ユダヤ人だったことだ。
そのことを田中氏は調べ上げた。

ーー

ソテロは伊達政宗をおだてて支倉常長(はせくらつねなが)を日本国王代理として、スペインに送り出す仕掛け人(フィクサー)だった。
1613年、伊達政宗は遣欧使節を仙台の港から送り出し、支倉一行はスペイン国王、ローマ法王に拝謁している。
伊達政宗を「日本国王」と名乗らせたのはソテロの捏造である。

ーー

ソテロはイエズス会ではなくフランチェスコ派の宣教師で、当時スペインの植民地となっていたフィリピンから提督代理としてやって来た。
フィリピンはポルトガルではなくスペイン系のドミニコ教会派とフランシェスコ派がおさえ、ときにイエズス会と勢力争いを演じていた。
ソテロはすぐに日本語を覚え、江戸で伊達政宗の知遇を得た。
「(ソテロは)ひそかに彼を使って幕府転覆を計画したのです」
「むろんフィリピンからスペイン軍を引きいれることを考えた」

ーー

従来、伊達政宗がスペイン軍と組んで徳川幕府を転覆する計画があったとされたが、実際は逆だった。
日本が改宗ユダヤ人に操(あやつ)られるところだったのだ。

ーー

支倉使節団は伊達政宗が造った500トンのガレオン船でフィリピン、メキシコへ行き、船を乗り換えキューバ経由でスペインへ入った。
ソテロは伊達政宗を「日本国王」と偽った手紙をでっち上げ、金銀造船技術などの通商のみならず、宣教師の派遣要請を勝手に伊達政宗の手紙に書き加えた。
だが、ソテロの個人的な野望は、イエズス会の協力を得ることは出来なかった。
いやそればかりか、スペインはオランダとの戦争を始めており、伊達使節などにかまけている余裕はなかったのだ。

ーー

本書で田中氏は、日本の保守派が守ろうとしたものが何かを追求する。
そしてそれが、共産主義(キリスト教・ユダヤ教)や地球主義(グローバリズム)の対局にあるものであることを示す。
つまり共産主義や地球主義というのは、一部の人たちが、自分たちだけの利益のためにその他大勢を犠牲にする考え方であった。
日本の保守が守ろうとしたものは、「その真逆のものである日本の思想」ということになる。


田中氏は、一部の人たちが、自分たちだけの利益のためにその他大勢を犠牲にする考え方こそが、ユダヤ人の考え方であるとして、その思想の根源にせまる。