2018年9月25日火曜日

私は、これを見て、「安倍退陣は、在日・反日勢力を陰で操って居るものからの圧力だ」と思いました 2018年9月25日 (火)縦椅子のブログ

私は、これを見て、「安倍退陣は、在日・反日勢力を陰で操って居るものからの圧力だ」と思いました 2018年9月25日 (火)縦椅子のブログ

私は、これを見て、「安倍退陣は、在日・反日勢力を陰で操って居るものからの圧力だ」と思いました
憲法改正についての当ブログ論客の議論を以下に抜粋編集してお目にかける。

ーーソロです。

日本国憲法は、占領軍が一週間で作り上げたものだということを、日本の支配層で知らぬものなどいなかった。
それがなぜ、「73年間も改正されなかったのか」?
ーー
一つは占領軍の事情、つまり早急に民衆政治による支配を確立しないと、連合国側で天皇を戦犯に問う議論が大勢を占めかねない。
天皇を戦犯にすれば、占領政策を実行することは不可能だった。
占領軍は、早急に、「日本に民衆政治democracyを実行させる」必要があった。
それが日本国憲法の中に天皇の存在を認めた理由である。
ーー
現行憲法は、占領下の日本に居る、300万人もの帰還兵の反乱から、米国兵士を護る為にも必要だった。
マッカーサーも、占領中の治安維持の為には、欠かせないもの、との認識だった。
ーー
もう一つが日本の事情。
日本人は天皇さえご無事で有れば必ず復興可能であると考えていた。
占領軍の人質のような状態だった陛下を一刻も早く救出する必要があった。
そのためにはどんな犠牲も払う覚悟を決めていた。
ーー
故に、占領軍に協力することで、敗戦利得者となった在日・反日勢力が、政財界、教育界、言論・メディア、法曹界を支配することを許してきたのだった。
ーー
1952年のSF条約締結で、占領状態が解消されたら、効力は自然消滅して、効力停止中の従来の欽定憲法が復活するのが当然の流れだった。
が、歴代政権は、占領軍が作り上げた「国軍不保持、交戦権放棄」の条文をもつ憲法を盾に、朝鮮戦争、ベトナム戦争への参戦を拒む。
これによって人的損失が防がれ、日本は経済発展を遂げ、いち早く先進国になれたのだった。
ーー
しかし「国軍不保持、交戦権放棄」の条文をもつ憲法では、自国を自分たちで守ることは不可能だ。
安倍さんは、就任前から、自民党の党是である、「憲法改正をやる」と公言していた。
2006年に、首相になった時点から、「北朝鮮・拉致被害者の奪還」のために、北朝鮮の日本での影響力を削ぐ施策を次々に放ち、半年で朝鮮総連はガタガタになった。
ーー
つまり、戦後在日・反日勢力による支配から日本を取り戻す行動に出たのだ。
ーー
米国下院議会は、2006年、70年以上も前の「慰安婦問題」に関して、「当時の日本の人権侵害行為に関する非難決議」を可決した。
訪米した安倍氏にそれを提示した。
すると安倍氏は、「この件に関しては、此方でも精査しましたが、軍に拠る関与は無かったと、判定しました」と主張。
これに対し、米メディアは、「安倍は歴史修正主義者だ」と、報じた。
ーー
安倍氏が帰国すると、日本メディアは一斉に「安倍降ろし」を始めた。
このことから日本メディアが、在日・反日勢力によって支配されていることがわかる。
私は、これを見て、「安倍退陣は、在日・反日勢力を陰で操って居るものからの圧力だ」と思いました。
ーー
2012年6月にロックフェラーが、国際金融資本内で、反乱罪の判定を受け、除名・追放された。
すると安倍さんに再登板の話が来て、10月の総裁選で石破茂を下し、12月の衆院総選挙で大勝し、第二次安倍政権が発足した。
それで私は、日本の自立を邪魔して居たのはロックフェラーだったと確信しました。
ーー
安倍政権になった途端、日本経済は、V字回復を果たしました。
この先、日本は米国勢力との関係をこじらせない限り、米国とともに栄え続けるでしょう。
ーー
今まで「替えられなかった」憲法が、「替えられるもの」になった。
ただ、73年間ものあいだ、護憲を主張して来た在日・反日勢力、つまり日本を自衛できない状態のままにしてきた勢力との対決が残されている。
ーー
彼らは、言論・メディアを支配することで、国民を洗脳できたからこそ、その支配者としての地位を維持できたのです。
ーー
この状況がネット環境の出現によって破られた。
つまり、在日・反日勢力が支配してきた言論・メディアは、もう日本国民を洗脳することが不可能となった。
日本国民が事実を知ったうえで、在日・反日勢力を支持するとは考えられない状況が出現しているのです。
ーー
ーーポッポです。
日本国憲法は、「国軍不保持、交戦権放棄」の内容を持ち、国民が自分たちで自衛できない国であることを、認めている内容になっている。
こんな憲法を、自らの手で作る民族など、どこにもいないでしょう。
ーー
そんな憲法を、日本は連合国と講和した後も守り続けている。
その理由の一つは、講和条約締結時の1952年には、朝鮮戦争中であり、1953年に停戦となったものの終わってはいなかった。
日本が参加を求められるかもしれない状況が考えられた。
時の政権は、連合国軍が作り日本に強制した日本国憲法を盾に参加できないとした。
ーー
それに憲法改正に必要な国民投票の法律も、安倍首相が第一次安倍内閣で制定するまでなかった。
ーー

この「国軍不保持、交戦権放棄」の憲法である限り、北朝鮮正規兵に国民を拉致されたり、竹島や尖閣諸島を侵略されても対処できない。
国民と領土を守ることを拒否した憲法の恐ろしさを考えなければならないと思います。
ーー
ーーソロです。
先帝陛下が、終戦のご詔勅の中で、触れられて居る様に、米国を始めとする、連合国軍は、本気で日本民族を全滅、皆殺しにするつもりで居たのです。
国際共産主義者組織(コミンテルン)のFDR、その元締めのスターリン、それにチャーチル。
ヤルタ会談のメンバーを見れば、世界戦2は、共産主義の覇権を確立するための一環として行われたことがわかる。
ーー
この3人の中で、天皇の処刑に消極的なのは、チャーチルだけです。
立憲君主国の良さを知って居るのは、連合国軍の中では、英国とオランダだけなのです。
が、オランダは、天皇の処刑に、寧ろ、前のめりでした。
ーー
で、結局オランダは、植民地だったインドネシアに独立され、世界の強国から欧州の小国になった。
ーー
戦後の日本の立場は、主権を失った敗戦国であり、占領軍による占領政策で役人を20万人も追放され、言論・メディアを支配された。
このような状況で、日本は、むしろ良く持ち堪えたと評価して居ます。
ーー
ーーポッポです。
終戦時のポツダム宣言でも、日本が唯一の条件としたのは「天皇を戦犯にしないこと」でした。
日本人は天皇の事を忘れなかった。
ーー
チャーチルは日本を戦争に巻き込んだ張本人の一人です。
チャーチルはドイツとの戦争では苦戦しており、米国を戦争に参加させたかった。
そのためには、日本に真珠湾攻撃をさせ、米国世論を参戦に変える必要があった。
ーー
日本参戦が明らかとなるや、イギリスもまた日本を攻撃するとして、英国東洋艦隊をアジアに派遣したのです。
しかしマレー沖海戦で、日本の連合艦隊によって、最新艦のプリンス・オブ・ウエールズとレパルス2隻を撃沈され、アジアでの威信を喪失してしまう。
これは、チャーチルにとって、信じられない出来事だったでありましょう。
ーー
その後もシンガポールを日本に占領され、さらにはビルマにも進出されている。
日本を憎く思ったはずです。
ーー
そのチャーチルが、終戦後には天皇を守ろうとしたのなら、ありがたいことだったと思います。
(日本との激戦を経験して、天皇を戦犯にすると占領政策が遂行できないと考えたものと思われる)
ーー
今上天皇が即位されたときに、国民に向かわれ「皆さん」と言われて嬉しかったことを覚えています。

一国民として天皇から大御宝(おおみたから)と呼ばれるべく、努力しなければならないと思っています。

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