2015年7月27日月曜日

神様が最後の堪忍袋の緒を切られると

 自己の周囲や自己の家庭の周囲にどんな計画を立てたところで、それを監視される神様が最後の堪忍袋の緒を切られると、人力ではどうすることも出来ぬ舞台面が予告無しに現はれてくるのである。縁あつて神界の経綸の一端を知つた人は、遠き昔からの産霊紋理(ムスビカタメ)によることで、すでに神界経綸の消息の一端を仄知しながら、為すべきことを為さぬならば、成るやうにしか成らぬであらう。
 しかし神様は慈愛が徳性であつて、その堪忍袋の緒は随分丈夫に出来て居るやうであるが、時代が時代であり、場合が場合であるから、君国のためには、いつどんなことが起らぬとも限るまい。『未だ至らずして予言すれば、固より常に虚と為す、其の已に至るに及んでは、又た及ぶ所無し』(後漢書、申屠剛伝)と古人も云つてをる。