2015年12月9日水曜日

日本は、ほんとうに底の深い国であると思います

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集qazx

タタラ(汗をタラタラ流すから)は、製鉄の際に風を送るための大きな鞴(ふいご)で、それは、何人もの人がその上に乗り、踏んで動かしていました。

そのタタラを踏むのは、女たちでした。

その「タタラ」には、男たちがいない。

それでは、男たちは、何をしていたのか。

男たちは山で鉄鉱石を掘り、木を伐って、マキを集めていた。

そして、伐採した後に、植林して、山を管理していた。

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タタラ製鉄の場所は、砂鉄や鉄鉱石が取れ、森林が豊かであり、また重い鉄を舟で運ぶための、川があることが望ましい。

つまり製鉄には、山と森と川が必要なのです。

そのような場所に、タタラ場が築かれる。

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そしてタタラ場を維持するために、木の伐採と維持管理、河川の維持管理が必用となる。

しかも、多くの人が働くための、食糧供給地の田・畑が必要です。

つまりそのような場所というのは、盆地の谷合であった事でしょう。

大雨には、川が氾濫し、水害に遭いやすい地形でもあります。

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古事記には、ソサノオノ命がヤマタノオロチを、「出雲の肥河の河原」で退治したと書かれています。

「出雲国之肥河上、名鳥髪地」つまり「出雲の国の肥(ひ)の川上、名は鳥髪の地」と。

現在の島根県仁多郡奥出雲町、かつて鳥上村と呼ばれた、そこには確かに昔タタラ場が在ったという言い伝えがあった。

この地には、たくさんの水源地から水を集めて一本の川になった斐伊川があり、盆地に入るといくつもの支流に分かれる。

つまり頭が八つで、胴体がひとつ、尻尾が八つ、胴体には苔が生え、檜(ヒノキ)が生育している。

まさに大水が襲えば、盆地は水に飲まれてしまう。

この大水(ヤマタノオロチ)を、ソサノオノ命が堤防を築いて防いだ(退治した)ということに成ります。

それが、ヤマタノオロチの伝説となった。

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ソサノオノ命が、いつこの地に降り立ったのか。

6500年前から5千年前までの時代ではあり得ない。

そのころのこのあたりは熱帯性気候だったからです。

つまり奥出雲の山中は熱帯雨林(広葉樹)地帯だった。

これでは林業は成立しない。

ということはすくなくとも、奥出雲が温帯化し、温帯性樹林に変わる、およそ4000年前以降に成ります。

およそ4000年前以降に、この地にタタラ場が作られた。

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最古の鉄器文明を築いたのは、トルコのヒッタイト族です。

3500年前に、ヒッタイトは、鉄を作るために森を燃やし尽くしてしまった。

いまやかつてのヒッタイトが住んでいたあたりは砂漠化しています。

ヒッタイトは自分たちの土地を砂漠化して、メソポタミヤに攻め込み、メソポタミヤ文明を滅ぼす。

それだけでなく、メソポタミヤでも、鉄器を作った。

そして大量の木を伐採して、結果、メソポタミヤの地をも砂漠化してしまった。

ーー

ヒッタイトが、森林を次々と砂漠に変えたという史実は、「ヒッタイトが製鉄を発明したとは考えにくい」ということを示しています。

なぜなら鉄の出現は、最初は偶発的な火災や、焼き畑などがきっかけで、赤い石から黒い塊が溶け出した。

それは、冷えると堅く固まり、その塊は、熱いうちなら石でたたいて思い通りのかたちに出来、また溶けている間に型に流すと型通りの道具に成った。

こうして鉄鉱石から溶かしだした鉄を鋳型に入れて好きな形の道具をつくるという技術が確立されます。

ーー

ところが、そんなことを繰り返しているうちに、鉄の中にはすぐに錆びる鉄と、錆びにくい鉄があることがわかるようになります。

後者を「玉鋼(たまはがね)」と呼びます。

どうやったら「玉鋼」が採れるのか、様々な工夫が始まります。

そしてこの頃になると、当然に、鉄の需要も増え、生産量も増えていきます。

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ところが鉄鉱石は無尽蔵にあっても、鉄を作る燃料の木は、成長するまでに20年、一世代掛かる。

しかも、禿山になると、居住地域の盆地が大水で流されてしまう。

当然、環境保護の必要性、つまり植林事業が興る。

この工夫は、鉄製品だけを求める人には、理解されない。

ヒッタイトは、後に砂漠を残しているので、鉄製品だけを求めたことになる。

それは、ヒッタイトが、鉄の製法を開発した種族ではなくて、伝えられた種族であったことを意味する。

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つまりヒッタイトに製鉄の技法を伝えた人々がいた。

その人々は、環境を破壊することなく、製鉄をしていたはずです。

なぜなら、環境を破壊していたのでは、ヒッタイト同様滅亡してしまい、他の種族に教えられないからです。

もしかすると、ヒッタイトに鉄器と製鉄を伝えたのは、約4千年前の日本人であったかもしれないのです。

人は移動する生き物なので、あり得ないと決めつけることはできないでしょう。

ーー

ソサノオノ命の物語が、その当時のものだったとすれば、いまから約4000年前の出来事ということになります。

逆に、それくらいの昔から製鉄の技法が確立されていないと、日本刀は生まれないのです。

日本刀の技術は、世界に一つだけの技術です。

鉄で剣が作られ、それが刀に進化する。

私たちは千年前の日本刀を、いまでも見ることができます。

いまと同じ形です。

つまり進化していない。

すでに完成していた。

日本刀を超える刀をつくろうと、世界中で研究されているのですが、日本刀の「切れ味」を越えるものはできないのだそうです。

完成してから千年も経っているのに越えられないのです。

ーー

では、そんな日本刀が開発されるまでには、いったいどれだけの歳月を要したのでしょうか。

すくなくとも、500年より短いことはないと思います。

ーー

縄文文化は、土器のイメージで語られることが多いのです。

土器は、「土で作った器」を焼いて作ります。

つまり、縄文は、火の文化でもあった。

火の文化があって、原料の砂鉄や鉄鉱石があれば、鉄が作れる。

現に、縄文遺跡から、数多くの鉄器が出土している。

日本は、ほんとうに底の深い国であると思います。

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