汚名は必ず濯(そそ)がれると、堅く信じる人々の住む国
ーー以下「頂門の一針、加瀬英明コラム」より抜粋編集qazx
日本語には、一言では外国語に訳せない言葉が、沢山ある。
私(加瀬さん)の仕事は英語を使って海外の人たちと折衝することだ。
そこで日本語は英語の単語では表現できないものが多いと思う。
そう思うたびに、日本人に生まれてよかったと、深く満足する。
ーー
例えば日本人は、食事をはじめる時に「いただきます」といい、食べ終わると「御馳走さま」という。
私たちが「いただきます」「御馳走さま」と言う、その相手は、料理を作ってくれた人と食材を提供してくれた自然である。
そして料理人や、自然(神様)に感謝する。
だから、出された食事を残してはならない。
しかし、英語には、このような表現がないのである。
ーー
かつて米国の支配者たちは、WASP(白人、アングロサクソンプロテスタント)と称されていた。
彼らは敬虔なキリスト教徒であり、食前には、神に食事ができることを感謝する祈りを唱えたものだ。
今では、きまった言葉がないので、フランス語を借りて「ボナペティ」(よい食欲を)という。
ーー
支那・朝鮮語にもこの「いただきます」「御馳走様」の言葉はない。
料理人や自然に感謝すると言う発想が無いのだ。
韓国語では「チャルモッケスムニダ」(これからよく食べます)、 「チャルモゴスムニダ」(よく食べました)だ。
北京語は「開始吃飯 (クアイスツーファン)」(これから食べます)、「好吃飯 了(ハオツーファンラ)」(よく食べました)という。
と彼らは説明するがその場面にはお目にかかったことが無い。
ーー
また心(こころ)も英語では表現出来る単語が無い。
親しい友人のヘンリー・ストークス氏にたずねた。
『ニューヨーク・タイムズ』や、『ロン ドン・タイムズ』などの東京支局長を歴任したジャーナリストだ。
滞日50年になる彼が、文面で回答をくれた。
ーー
「『こころ』を、英語でどのように訳したらよいか。
1語に訳す英語はない。
『欧米人には「こころ」がないのだ』と言われそうなのが癪なので、ずっと考えたが、思い当たらない」
ーーと。
『こころ』のような意味では、 『ハート』や『マインド』を使っている。
辞書で調べると、『ハート』や 『マインド』には、数多くの意味がある。
ーー
『マインド』は思考に近い。
頭で考える範疇で、そこから『アイディア』 が生まれてくる。
ほかに『マインド』には、『思考、感情、意志などの働 きをする』心、『理性を働かせる』知性、記憶や、考えなどの意味がある。
A strong (weak, clear, shallow) mind 『強い(弱い、明晰な、浅薄 な)心』という。
A sound mind in a sound body.『健全な精神は健全な 肉体に宿る』という格言もある。
ーー
『ハート』は解剖学的な心臓そのものだ。
心配ごとがあると、心臓の鼓動が乱れて、胸が苦し くなる。
My heart leaps up.(心が躍る)という表現もある。
My heart is full. というと、『胸がいっぱい』だ。
What the heart thinks, the mouth speaks. (心に思ったことは、口に出る) という諺は心に近い。
ーー
『和』という言葉も外国語にない
人々の間の「和」だが、この「和」も世界中で、日本にしかない。
この『和』という言葉も、ひと言で外国語に訳すことができない。
ーー
『ハーモニーharmony』音や、行為、考え、感情などの調和、一致・・・が近いと、思われるだろう。
だが、『ハーモニー』は、参加している人々がそのように決めた結果として、もたらされるものだ。
一方日本人の『和』は、つねに日本人のこころのなかにあっ て、心からごく自然に涌きでるものなのだ。
ーー
私が所蔵している、全20巻の『日本国語大辞典』(小学館)には、「こころ」が頭についた言葉が、400近く載せられている。
「心相(こころあい)」「心有(こころある)」「心合(こころあ)わせ」「心意気(こころ いき)」「心一杯(こころいっぱい)」「心入(こころい)り」「心得(こころ え)」「心覚(こころおぼ)え」「心堅(こころかたし)」「心掛(こころが) け」「心構(こころがま)え」「心配(こころくば)り」「心化粧(こころげ しょう)」「心様(こころざま)」「心魂(こころだま)」「心盡(こころづ く)し」・・・。
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heartは、三省堂の『最新コンサイス英和辞典』で、僅か26の熟語しか載っていない。
heartache(心痛)、heartbeat(心臓の鼓動)から、heartwood(材木の心材)までだ。
英語をはじめとするヨー ロッパ諸語では、「心」は動物の心臓に近いのだ。
ーー
また「お猫さん」「お猿さん」「トンボさん」「お寺さ ん」「新聞屋さん」「飲み屋さん」「御馳走様」「世間様」というよう に、あらゆるものに「さん」「様」の敬称をつけるのは、日本だけである。
日本人は、人間様だといって、威張ることがない。
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そして様の付く言葉では、世間様という言葉がまた日本独特なのである。
私はよく祖母から、「そんなことをしたら、世間様に顔向けできません」「世間様に感謝しなさい」と、言い聞かされた。
商売のコツを聞かれた、近江商人が、「自分良し、相手良し、世間よし」と答えている。
世間様とは、この世間の事なのである。
商売のコツに、世間が登場するのは、日本だけだ。
諸外国では、せいぜい「自分良し、相手良し」止まりなのだ。
ーー
世間というものは、和から、自然に発するものなので、和がなければ、発想さえ不可能なのである。
ーー
私は地方を訪れるたびに、駅の構内に駅弁が並んでいるのに、見とれて しまう。
仙台駅の「炭焼牛タン弁当」
横川駅の釜に入った「峠の釜め し」
鎌倉駅の「かまくら旬彩弁当」
横川駅の釜に入った「峠の釜め し」
鎌倉駅の「かまくら旬彩弁当」
・・・駅弁は、日本中の主要な駅の数だけある。
ーー
美術館といえば、ロシアのサンクトペテルブルグのエルミ ター ジュと、パリのルーブルが有名だ。
駅弁は足を停めて、目で堪能するだけで、エルミタージュや、ルーブルを訪れるのと、同じ価値がある。
そう言えるほどに盛り付けが美しい。
日本は世界のなかで、美的感覚がもっとも突出した文化を持つ国だ。
これほどまで、美にこだわる国民は他にない。
外国人は弁当に、はじめて日本の浮世絵に出会った時と、同じような衝撃を受ける。
ーー
日本人が寡黙なのは、心を大切にし、心が美しいことを求めるからである。
日本人が、理屈を嫌ってきたのは、心の美しさは、言葉で説明すべきではないと考えているからだ。
私たちは、人物評価をするとき、心が美しいか、清いかということを、尺度とする。
言葉は少ないほうが心が美しい。
言葉は、心の美しさの邪魔になる。
言葉は、心の美しさの邪魔になる。
ーー
言葉の機能は自分を表現すること、自己(エゴ、自分の欲求が正しい)弁護にある。
日本人は、外国人のように、理屈で、何が正しく、何が悪だときめつけることなどしてこなかったのだ。
つまり言葉は言い争って、相手を負かす道具である。
ーー
いま、中東を舞台として、イスラム教徒が、スンニとシーアに分かれて争そっている。
400年前には、キリスト教徒がカトリックとプロテスタントに分かれて人口を半減させるまで争そった。
私たちは、キリスト教徒やイスラム教徒が正義を振りかざして争そう姿に興ざめる。
ーー
キリスト教やイスラム教がユダヤ教から派生したように、共産教(共産主義)もユダヤ教から派生したものだ。
日本人は、共産主義者が、正義を振りかざして争そう姿にもまた興ざめている。
ーー
私たちの先人が、世界に類を見ない和の文化を培ってきたのは、素晴しいことだ。
古来から、日本では正義を主張することを、嫌ってきた。
私たちは和を大切にして、寡黙の内に、譲り合って生きてきたのだった。
正義を振りかざして、いがみあうのは美しくはない、とても醜(みにく)い、と日本人は感じてしまう。
ーー
「負けるが勝ち」という言葉も、日本にしかない。
この内容について説明すると、外国人には、怪訝(けげん)な顔をされる。
河野官房長官が、事実ではないことを認める談話を出した時、諸外国は日本が負けたと考えた。
日本以外の世界では、一度負けてしまったら、再び立ち上ることができない。
しかし「負け」と言われようとも日本人は、諍(いさか)いよりも、和を選んだのだった。
それは日本という国が、汚名は時が来れば必ず濯(そそ)がれる、と堅く信じる人々の住む国であるからだ。
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